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脱炭素社会の実現に向けた「カーボンプライシング」
脱炭素社会の実現に向けて、温室効果ガスの大幅な排出削減が急がれる中、炭素に価格を付けることで排出削減につなげる政策「カーボンプライシング」の導入が世界中で広まっています。日本国内においても、カーボンプライシングに関する具体的な議論が環境省や経済産業省において進められています。今回は、カーボンプライシングの概要と具体的な仕組みなどについてまとめました。
炭素に価格を付ける「カーボンプライシング」
気候変動問題に関する国際的な枠組みである「パリ協定」に基づき、世界の平均気温の上昇を産業革命前から1.5℃未満に抑えるという努力目標の達成を目指して、世界各国が脱炭素社会への動きを加速しています。日本においても、2020年10月に「2050年カーボンニュートラル」が宣言され、2030年度の温室効果ガス削減目標を2013年度比で46%にまで引き上げ、その実現に向けて、地球温暖化対策推進法の改正や地域脱炭素ロードマップの策定などを通じて、様々な施策が推進されています。
こうした中、温室効果ガス排出削減のための手法の一つとして、世界各国で「カーボンプライシング」(以下、CP)の取り組みが進められています。CPとは、炭素に価格を付け、その排出量に応じて企業や消費者に対して金銭的負担を求める仕組みで、排出削減に向けた行動変容を促す政策手法です。
昨年5月に世界銀行が取りまとめた世界のCPの実施状況に関する報告書では、CPを導入している国・地域は合計で64に上っており、過去10年で3倍以上に増加しています(図1)。また、CPによってカバーする量は、世界の温室効果ガスの21.5%に上るとしています。
環境省では、今年6月に公表した「令和4年版 環境・循環型社会・生物多様性白書」の中で、CPなどの市場メカニズムを用いる手法は、産業の競争力強化やイノベーション、投資促進につながるよう、成長に資するものについてちゅうちょなく取り組んでいくと述べています。また、日本経済団体連合会(経団連)が今年5月に公表したグリーントランスフォーメンション(GX)に関する報告書においても、抜本的なイノベーションにつながる制度設計を行い、産業競争力への影響を検証した上で、適切なタイミングで導入することができれば、CPは「2050年カーボンニュートラル」を実現する手段となり得るとの考えが示されています。
今後、日本国内においても、CPの本格的な導入に向けて進んでいくと見込まれます。
カーボンプライシングは「明示的」と「暗示的」の二つに分類
CPは、大きく「明示的CP」と「暗示的CP」の二つに分けられます(図2)。
明示的CPは、温室効果ガスに対して、その排出量に比例した価格を付ける施策で、排出量に応じた費用負担が発生することで、温室効果ガス排出に伴う社会的費用を「見える化」することが可能となります。企業等の経済合理性を前提とすると、より安価なコストで実現できる排出削減策から順に実行されることが見込まれるため、温室効果ガスの効率的な削減が期待できます。これら、明示的CPの具体的な手法としては、「炭素税」や「排出量取引制度」が挙げられます。
一方、暗示的CPは、企業や消費者に対して間接的に排出削減の価格を課す仕組みです。「エネルギー関係諸税」や「再生可能エネルギー発電促進賦課金」など、炭素排出量ではなくエネルギー消費量に対して課税されるものや、規制や基準の順守のために排出削減コストがかかるものが挙げられます。暗示的CPは、温室効果ガス排出削減以外の目的で導入されていることから、炭素量に比例した負担とならない場合があり、温室効果ガス削減の観点からは非効率となる可能性が懸念されています。
化石燃料の利用に対して広く負担を求める「炭素税」
明示的CPのうち、炭素税は、環境保全を目的として課される環境税の一種で、温室効果ガス排出量に応じた課税を行うことで、炭素に価格を付ける仕組みです。化石燃料の価格を引き上げることによって環境負荷を抑え、更にはその税収を環境対策に利用することにより、温室効果ガスの排出量を抑えることを目的としています。
炭素税を導入するメリットとして、課税によって幅広く価格が周知されるため、企業や消費者などあらゆる排出主体の行動変容を促すことができます。また、税率を設定し価格を固定することで、投資に必要な予見可能性が確保できることなども挙げられます。更に、税収を活用したイノベーション、技術の普及などについても後押しが期待されます。
ただし、企業や消費者が炭素価格に対してどのような反応を示すか不確実なため、国全体での排出削減量について確実な見通しが立てられないほか、税負担が発生することによって、民間企業の投資・イノベーションの原資が減少することや、エネルギーコストの上昇が国内産業の国際競争力に悪影響を与えることなどが懸念されています。
日本においても、環境省により2022年度からの炭素税の導入に向けて検討が進められていましたが、2022年度税制改正大綱において政府・与党により記載が見送られました。
一方で、炭素税に先駆け、全ての化石燃料の利用に対して、環境負荷に応じて広く公平に負担を求めることを目的として、2012年10月に「地球温暖化対策のための税」(温対税)が施行されました。課税を通じたCO2の排出を抑制する「価格効果」と、税収をエネルギー起源CO2排出抑制のための施策に活用することによってCO2を削減する「財源効果」の二つが見込まれています。
温対税は、急激な負担増を避けるため、税率が3段階に分けて引き上げられ、2016年4月に最終税率への引き上げが完了しています。具体的には、化石燃料ごとのCO2排出原単位を用いて、それぞれの税負担がCO2排出量1t当たり289円となるよう、単位量当たりの税率が設定されています(図3)。
しかしながら、温対税は、既に本格的な炭素税が導入されている欧州に比べると10分の1に満たない低い税率となっているのが実情です。
公平で柔軟性のある「排出量取引制度」
明示的CPの一つである「排出量取引制度」は、事業者ごとに温室効果ガス排出量の限度として排出枠を設定し、その枠に対して余剰もしくは不足した排出枠について事業者間で取引する制度です(図4)。
排出量が上限を上回る事業者は、下回る事業者と排出枠を取引し、自らの実排出量に相当する排出枠の調達義務を負うことになります。
導入のメリットとして、公平で透明性のあるルールの下で、確実性を持って削減量を確保できる点や、排出枠の取引等を認めることで、柔軟性のある義務履行が可能となる点が挙げられます。その一方で、排出枠の価格が経済状況等によって変動するため、事業者がコストの見通しを立てにくくなる可能性があるほか、一定規模以上の排出量でないと測定が困難なため、対象となる事業所が限られるなどの課題があります。
国内における取り組みとして、東京都では2010年から「総量削減義務と排出量取引制度」が導入されています。年間のエネルギー使用量が原油換算で1,500kL以上の事業所が対象で、自らの省エネ対策等によって削減するほか、排出量取引を活用して他の事業所の削減量(クレジット)等を取得して義務を履行することができます。2015~2019年度の第二計画期間においては、約85%の事業所が自らの対策によって、残りの約15%がクレジット等を活用して削減義務を達成しています。
民間企業における自主的な取り組みも進展
CPにおける新たな試みとして、企業が自主的に取り組む「インターナルカーボンプライシング」(以下、ICP)が注目されています。これは、企業内部で独自に炭素価格を設定し、企業の低炭素投資や対策を推進する仕組みです。ICPを導入する目的としては、情報開示の推進による投資家や評価機関へのアピール、低炭素目標の達成、今後導入される可能性がある低炭素規制への対応などが挙げられます。
ICPを導入する企業は増加傾向にあり、国内では約250の企業が既に導入済み、もしくは今後2年以内の導入を検討しています。
国内クレジット取引にも新たな動き
温室効果ガス削減価値を証券化し、取引を行うクレジット取引についても、新たな動きが見られます。省エネルギー設備の導入や森林経営などの取り組みによる温室効果ガスの排出削減量や吸収量を、クレジットとして国が認証する「J-クレジット制度」について、森林分野のクレジットに関する制度の改定案が取りまとめられました(図5、7/15号1面にて詳報)。
改定案では、森林由来クレジットの創出要件について緩和が図られたほか、所有者以外の第三者が再造林を行った場合も、その吸収量をクレジット認証する仕組みや、木材利用による炭素固定量をクレジット化する制度案などが新たに示されました。
また、東京証券取引所では、経済産業省から「カーボン・クレジット市場の技術的実証等事業」の委託を受け、今年9月のカーボン・クレジット試行取引の開始に向けて準備が進められています。これは、同省に設置された「世界全体でのカーボンニュートラル実現のための経済的手法等のあり方に関する研究会」において、成長に資するCPを実現するための具体的な方向性の一つとして、「企業が国際的に通用するクレジットを国内で調達できる市場(カーボン・クレジット市場)」の創設が必要である旨が提示されたことを受けた取り組みです。カーボン・クレジットの取引に関心のある方々に対して広く実証事業への参加を促すために、取引制度に関する骨子が示され、今後、同市場に関する情報が順次公開される予定です。
図1:世界銀行資料より作成
図2~4:環境省資料より作成
図5:林野庁資料より作成